しもじものたみ

生き抜け!コンクリートジャングル

いずれ来る今際の際のために何ができるだろう

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1年前、わたしは「孫」を卒業した。

 

母方の祖母はわたしのラストグランドペアレントだ。父方の祖父母はずいぶん前に亡くなっていたし交流も少なかったため、わたしにとっては母方の祖母こそ「おばあちゃん」だった。

 

長い闘病生活だった。10年前に車ではねられ入院した病院でがんが見つかった。塞翁が馬ってやつだ。10年かけて祖母はゆっくりと死に近づいていった。

 

死ぬ1ヶ月前は祖母にとって最も忙しい期間だったかもしれない。祖母は人望のある人だったようで、ひっきりなしに病室に見舞客が来た。祖母は一人一人に最後の言葉をかけていった。

「おまんはお嫁さんをまっと大事にしなかんよ。」

「あんたらと行った温泉楽しかったわぁ」

「○○さんも手術がんばってな」

もう二度と会うことはない人に丁寧に言葉を残している祖母を、わたしは端で見ていた。

 

このころ無職になりたてだったので、頻繁に祖母を見に行った。看護師さんはそのたびにツーショットの写真を撮ってくれた。「最近はカメラの性能が上がっていて指紋がバレてしまうから」という理由で祖母は裏ピースをしていた。直近の祖母の写真はギャルっぽくてちょっと愉快だ。

 

最後の1週間は、祖母曰く「せいだいて息しとらな死んでしまう」状態だった。フゥフゥと意識的に呼吸をしていた。そんな状態で、ついに身内に対する最後の言葉を残し始めた。

わたしの妹には「化粧も髪もほどほどに。今の女は勉強が出来んと舐められるで。」

わたしの母には「いちばん苦労をかけたね。こんなにいい子でうれしいわ」

従兄弟たちには「好き嫌いせんとなんでも食べなかんよ。」

 

わたしは祖母の初孫だ。総勢4名の孫の中でもわたしは特別可愛がってもらったと思う。わたしも祖母が大好きだ。そんな祖母は一体最後にどんな言葉を残してくれるのか。

 

「たみちゃんはねぇ、あんまりにも夜泣きが酷かったもんだから、ばあちゃん耐えかねてね。ばあちゃんのお乳を吸わせてやったら、泣きやんじゃってヘッヘッヘッ...あっあんたのお母さんには言っちゃかんよ」

 

いや何わろてんねん。

 

というか母はすぐそばで聞いてますが。

 

わたしは祖母が口を開いた瞬間、走馬灯のように26年の思い出が蘇ってきた。わたしの最古の記憶は祖母に背負われてまどろんでいた時のものだ。市場に通ったこと、畑の除草、温泉に通ったこと、通院、26年の圧縮された記憶が脳を駆け抜けた。

 

ばあちゃん、お乳の話しかなかった?もっと印象的なエピソードあったことない?妹宛てみたいな未来へのアドバイスとかでもよかったんじゃない?お乳て、お乳って。

 

もうびっくり。母もびっくり。まさか知らないところで娘が乳を吸わされていたと知って困惑。どうやら人間は一生黙っていようと誓ったことも、呼吸もままならない状況下ではついしゃべってしまいたくなる生き物らしい。

 

それから3日と少しで祖母は亡くなった。こんなご時世なので、と家族葬にしたが、弔問がひっきりなしにあった。本当に好かれていたんだなあと誇らしくなった。

 

棺の中の祖母は口をぽかんと開けていた。首の角度を変えたり枕をかったりしたが完全に閉口はできなかった。お乳の秘密をしゃべってしまったからかもしれない。きっと喋らなければ、口を固く閉ざしていただろう。

 

祖母のお乳カミングアウトを聞いてから、わたしはずっと考えている。いずれ来る最後の時にわたしは何を口走ってしまうのだろうと。かっこよくこの世を去るために今のわたしに何ができるだろうと。

 

死の間際はおそらく人生で一番余裕がない。納期間近の仕事をしているときでさえ人格が破綻した受け答えをしてしまうのに、死の淵では一体どうなってしまうのか。死の間際でいかに余裕を生み出すかが今後重要になってくるだろう。

そしてこの余裕を活かしてかっこいい辞世の句でも詠みたい。今の語彙力では「ハンパない 圧倒的な 超感謝」が関の山だ。語彙を増やし、経験を増やし、時世の句オーディエンスを増やす必要がある。今のわたしにはイケてる句を詠むための人生経験が少なすぎる。

 

初盆のときいらしたおっさん(我が地域ではお坊さんをこう呼ぶ)は「葬儀や法事は、死者のためだけではなく残された人の心を慰めるためにも行うのだ」といった。生前の死者を思い返すことで自分の心を整理したり、教訓を得たりするのだ。たしかに祖母の死はわたしに「覚悟」をもたらした。

 

1年前に誰の孫でもなくなった日は、自分の死に様と向き合い始めた日。おばあちゃん、あのときお乳を吸わせてくれてありがとう。わたしは立派に時世の句が読めるようにがんばるね。