こんにちは、たみです。
とろろごはんってあるじゃないですか。山芋なり長芋なりを擦ってペーストにしたものを、米にかけていただくあれ。実家では、昔から「白いとろろごはんはお店で食べるやつ、茶色いとろろごはんは家で食べるやつ」という教育が施されてきたの。だからわたしも、世の中のとろろごはんには白と茶色の二種類が存在し、白はお店で食べるちょっといいとろろごはんだと思っていた。
違った。
世の中のとろろごはんは白と茶色の二択じゃないわ。
茶色が選択肢にない人が多数っぽい。
なぜ実家のとろろは茶色いかって、みそ汁で伸ばしていたから。みそ汁っつーか、味噌の汁。定食なんかで出るみそ汁から具を抜いて、味噌を濃くした感じ。用いる味噌は赤みそ。ゆえに、白いとろろに味噌の汁をまぜこむと、茶色のとろろが完成するってわけ。
これね、常識だと思ってたの。全世界どのご家庭でもとろろごはんは茶色だと思っていた。小学生のころとか、「おばあちゃんと旅行にいったら、お昼ごはんが白いとろろだったの!」とかクラスメイトに自慢してた。なーんかクラスメイトの反応薄いな?と思ってたけど、会話が致命的に食い違うとかなかったので気づかずに成長してしまった。
結婚後、初めて食卓にとろろを出す日、世の常識を知った。
旦那がね、なんの躊躇もなく、白いとろろをごはんにかけてるの。炊飯器からお米をよそい、台所に置いてある味噌の汁待ちのとろろを、さっとひと掬いしちゃって。
もう、ちょっとしたホラーだった。わたしからしたら、作業工程を1つすっとばしてるわけ。フライパンに流す前のホットケーキミックスを食べているような感覚。たった今、コンロで加熱されている味噌の汁が見えんのか?これなんだと思っとる?とオラオラ詰め寄ったら、「今日の汁物はみそ汁なんだなって思った。」と。
晴天の霹靂。
今までの自分の中のとろろの概念が崩れ去っていく感覚。
とろろには白と茶があると説く親の顔、クラスメイトのイマイチな反応、そして旦那の行動、すべてが脳を駆け巡っちゃった。
それ以来、話題がとろろごはんになるたびに、お互いの想像しているとろろごはん像を確認しないとまずいなと思ったの。ここすれ違っちゃうと致命的だから。もし仮に「とろろごはんにかける醤油の量が~」とか話題になっちゃったら、わたしのとろろ感では塩分過多では?となってしまう。
でも、まずとろろごはんが話題になることってあんまりないの。しかも、とろろ青天の霹靂を経験してから、親しい人に「知ってた!?とろろごはんって一般には茶色くないらしいよ!?」というだいぶウザい絡み方をしまくってしまったため、おおよその交友関係で、とろろ感のすり合わせが完了していた。だから、とろろ性の違いをあまり意識することはここ数年ではなかったの。
先日、たまたま大学時代一緒の講義だった人にばったり出会いまして。全然どういう流れか覚えていないけれど、とろろごはんの話になりまして。
今だ、と。今こそとろろ像の確認が必要だと。
「あの、まずお互いのとろろの認識の確認をしたいんだけど」という、一発で”ヤバさ”が伝わる発言にも、知人はうなずいてくれた。ちょっとハァ?って顔してたけど。めげずに、わたしの中のとろろ像は味噌の汁でときのばした茶色のブツであるということを伝えた。相手のとろろ像もヒアリングしなければ。あなたのとろろは何色?
「うちは緑だわ」
う~~~ん!
青天霹靂!
わたしは思いあがっていた。白いとろろが一般的だということを知った程度で、とろろの全てを知ったような気分になっていた。白と茶がとろろの理だと思い込んでいた。
そこに現れる緑。知人のご家庭では大量の青のりを入れるため、とろろごはんが緑になるそうだ。
正直、その後知人と何を話したか全然覚えていない。せっかくお互いのとろろ像を知ったのに、とろろごはんがどんな話に発展していったか欠片も脳に残っていない。「緑」があまりにも衝撃的だった。
知らないだけで、この世にはまだ色とりどりのとろろごはんが存在するのかもしれない。わたしの近辺では茶色派が少ないだけで、もっと広い世界でみれば、白より茶が数で勝っているかもしれない。いや、もしかしたら緑かもしれない。未知のとろろへの想いが止まらい。
実家という狭いコミュニティでは茶色のとろろは常識だった。しかし、広いコミュニティではその限りではない。さまざまなとろろ感を持った人間が集まって、この世はできている。
他者のとろろコモンセンスを認めつつ、隙あらば茶色いとろろを広める人間に、わたしはなりたい。