しもじものたみ

生き抜け!コンクリートジャングル

「5歳のわたし行方不明事件」の真相は藪の中

【PR】この記事には広告を含みます。

ついに来てしまった、誕生日。

年々誕生日がうすら寒いイベントになっているけれど、今年は一味違う。

ついに、わたしを産んだ時の親の年齢になってしまった。

同じ歳で親が十月十日を経て私を爆誕させている一方、わたしはポケモンレジェンズアルセウスでやっと「ともしび」を全部集め終わってミカルゲ爆誕させている。

なんだろう、この差は。

 

焦りと現実逃避でずっとモヤモヤした気分で過ごしていたところ、親から連絡が来た。

Wii欲しいでしょ?取りにきなさい」

親という生き物の中で、子供というのはいつまでも可愛いあの頃のままなのかもしれない。Wiiが欲しくてたまらなかったあの時の、かわいいわたしのまま。

だから、令和の世に、とうの昔に成人した娘がWiiを欲していると勘違いしちゃうんだな。

まぁ、欲しいんですけど。

ちょうどテイルズオブグレイセスとかやりたいなって思っていたところ。

 

んで、実家に取りに行った。

ちょうど実家では断捨離大会が行われていた。Wiiはその一環でわたしに譲られることになったようだ。幼いころの写真やビデオテープなどは、デジタル化して全部処分するらしい。過去のわたしをスキャンしては袋に詰める作業は、何とも言えない複雑な気持ちになった。

あ~なつかしいな~なんていいながら、アルバムを開いていたら、見つけた1枚の写真。

 

道の端にしゃがんで花を見つめるわたし、

それを見つめる父親、

横にはおまわりさんとパトカー。

 

全然記憶にない。情報量が多い。

親に聞いてみた。これ何の写真?って。

「あ~それ、あんたが行方不明になった時の写真だよ」

 

わたしは、5歳のころ壮大な迷子になったことがある。この写真は、警察に捕獲され、親元へ返されたときの写真らしい。

そんな場面写真に撮るかね?

今みたいに携帯にカメラが付いていた時代じゃない。外で写真を撮ろうと思ったら、フィルムカメラを持ち歩かなきゃならない時代だ。娘が行方不明のとき、一番最初に用意するものは、絶対カメラじゃないでしょ。

「それもそうね~でもあの時は気が動転してたんだろうな」なんて、母と笑いあった。写真のなかのわたしは、心配そうな父をよそ目に、道端のたんぽぽにご執心だ。無邪気なやつめ。

 

そう、無邪気に笑っているのだ。

わたしの記憶では、この時5歳のわたしは号泣のすえゲロまでかましている。

 

思えば、この迷子事件について親とあまり話したことがない。せいぜい「あのときは大変だったんだからねぇ~」程度のもんである。怖い思いをした子供への配慮として話題にしなかったのかもしれない。

 

ねぇ母ちゃん、この時のこと、覚えてる?

 

娘の母の物語

覚えてるって、そりゃ覚えてるよ。忘れられないね。

4人で近くの公園に散歩へ行ったんだ。アタシと、アンタと、アンタの妹と、おばあちゃんの4人。ちょうど梅が見ごろだったんだ。普段だったら車で行くところだけど、この日は散歩がてら徒歩で行ったんだよ。公園で遊んだあと、おじいちゃんのお墓にまいろうって話になってね。「お墓まで競争ね!」ってアンタがいうもんだから、妹の乗ったベビーカーのロックを外したり靴紐を結んだりして、さぁ「いちについて、よぉーい...」って言ってみたら、いないの。お墓までの道は1本の坂道なのに、どこにもいない。おばあちゃんもほんの少し目を離したすきの出来事だった。

 

このときはね、まだ何とも思っていなかったのよ?どうせお墓にいると思っていたから。でもお墓にはいなかった。お墓の掃除をしてた人に聞いたら「女の子ならさっきまでいたんだけどね」って言ってた。それを聞いて、ようやくゾッとしたね。

しばらくは、おばあちゃんとアタシで探したの。梅を見に行った公園とか、近くの道路とか。それでも見つからない。夜勤に備えて寝ていたお父さんも叩き起こして、近所を捜索よ。それでもやっぱり見つからない。

いよいよ、これはマズいと、交番に駆け込んだ。お巡りさんは親身に話を聞いてくれた。「お子さんがもしかしたら自力で帰ってくるかもしれませんので、どなたか家に待機していてください。」って言われたから、アタシとおばあちゃんで家に待機、お父さんが警察の人と連携するってフォーメーションになった。

待っている間は不安だったよ。この辺にも人さらいが出るらしいなんで噂になっていた時期だったから「もしも...」ってね。おばあちゃんなんて、数珠だしてお祈り始めちゃうぐらいだったし。

交番に行ってすこししたら、電話がかかってきた。幼稚園の先生からだった。「〇〇ちゃん(※わたしのこと)、行方不明なんですってね。もし幼稚園に来たら連絡します」って。休日なのに申し訳ないったらないわな。警察さんが幼稚園に連絡入れてくれたのかね?

夕暮れ時に、また電話がかかってきたの。警察から、「娘さん見つかりました。」って。急いで支度して指定された場所に行ったら、娘が立ちションしてた。保護されたパトカーから降りて早々、お父さんに「おしっこ!」っつって茂みに入ってチョロチョロやりだしたって言うんだから、脱力よ。そのあと、警察の人と話している合間に誰かが撮った写真がこれなんじゃない?ほんと、心配して損したわ。肝が据わりすぎでしょ。

 

警察から話を聞いた娘の父の物語

お母さんは自宅で待機していたから、お父さんが警察とやり取りをした。

警察の人と話しながら待っていたら、「娘が見つかった」って連絡がきてね。

そのとき警察の人から聞いた話はこんな感じだった。

「スピーカーから服装や身長などの情報を音声で流しながらパトカーを走らせていました。自宅から1kmほど離れた場所にある公園で、ほかのこどもたちと遊んでいる少女を見つけたので、声をかけました。ちゃんと名前や住所を言えたので、本人と判断して連れてきました。偉いですね。パトカーに乗ったのは初めてだからうれしかったようですいい子についてきてくれましたよ。」

 

娘の白状

5歳のときのわたしは、とにかくイケイケだった。4月生まれだからか同じクラスの子たちより大きかったし運動もできた。かけっこだっていつも1番か2番。その日も、おばあちゃんにいいところを見せたくて「お墓まで競争ね!」と母に挑戦を挑んだ。

母の「よーい、どん!」という合図で、わたしはめいいっぱい足を動かして坂を下った。ときどき後ろを振り返って、おかあさんと、おばあちゃんと、いもうとがどんどん小さくなっていく姿を見るのが快感だった。

そんなわけで、母たち一行に大差をつけてお墓へゴールした。いつものように柄杓と桶をもっておじいちゃんのお墓の前でスタンバイをする。こうすると、おばちゃんがいつも褒めてくれるのだ。しかし、肝心のおばあちゃんたちが、いつまでたっても来ない。ここでようやく、わたしは一人ぼっちになってしまったことに気づいた。墓地には誰もいない。母も祖母も妹もいない。初めて墓が怖いと思ったのは、間違いなくこの時だ。

とりあえず、元来た道を戻った。もしかしたらおかあさんは、「よーいどん」のばしょでまっているかもしれない。しかし、そこには誰もいない。となると、次の候補地は自宅だ。もうくたびれておうちにかえっちゃったかもしれない。自力で自宅まで歩き、ドアをドンドンとたたく。インターホンも鳴らした。しかし、誰も出てくれない。こうなったら最終手段の、おばあちゃんの家へ行こう。とおいから、かってにいくと、おこられちゃうかな。このときのわたしは、怒られる恐怖よりも、これ以上一人ぼっちでいる恐怖に耐えられなかった。祖母の家に到着し、インターホンを鳴らす。やっぱり誰も出なかった。

わたしは、ここで確信した。「捨てられた」のだと。実際はただの迷子なのだが、幼いわたしの思考は飛躍し、「妹がうちに来たから、わたしはいらない子になったのだ」と悲観していた。

親に捨てられた(と思い込んでいる)わたしは、次の住処を探すことにした。幸いあてはある。幼稚園だ。あそこはいつもやさしい先生がいるし、ご飯も出てくる。お母さんがいなくても暮らしていけるはずだ。こうして、わたしは祖母宅から幼稚園へ向かった。しかし、この日は日曜日。幼稚園の門は固く閉ざされている。職員室のインターホンを鳴らしたが、誰も出なかった。捨て子は途方に暮れた。

そこからは、あてもなくさまよった。もう一度自宅へ行ったり、祖母宅へ行ったり、友達の家の前を通ってみたり。だんだん日が高くなって長袖の服がうっとおしかったのを覚えている。

自宅のそばの用水路を歩いて、もういちど祖母宅へ行こうとしていたときのこと、用水路の脇からガサガサと音がした。音のほうに目を向けると、警察が植えられたユキヤナギをかき分けてこちらへ向かってくるではないか。日ごろから「悪いことをするとお巡りさんに捕まって暗い部屋に閉じ込められるよ!」と脅されていたわたしは、一目散に逃げだした。捕まったら人生が終わると本気で思っていた。しかしさすがは警察官。あっというまにわたしに追いついて捕獲。わたしのギャン泣き海老反り大暴れ抵抗もむなしく、パトカーへ収容された

パトカー内では、女性のお巡りさんに「お名前いえるかな?」とか、「お家の住所いえるかな?」と聞かれたが、わたしはせめてものレジスタンスで黙秘を貫いた。ひとしきり黙秘したあとは、とおい叔母さんの名前を名乗ったし、住所はしっちゃかめっちゃかな土地をしゃべった(たしか、プリティレインボウ町とか、そんなふざけた感じ)。わたしのことを知られなければ、まだ脱走のチャンスはあるはずと思っていたから。

盛大にお巡りさんを困らせながら、パトカーは進む。ある地点で、パトカーが止まった。外を見ると、そこには夜勤に備えて寝ているはずの父が立っていた。そこで今までの緊張が解けたのか、ギャンギャンに泣いた。ゲロも吐いた。自分は捨てられていなかったのだと安心し、もう親元を離れないようにしようと心に決めたのだった。

 

これが、わたしの記憶のなかの迷子騒動だ。

20年以上前の話だ。わたしの記憶が間違っている可能性が大きい。

仮に全ての記憶が正しかったとしても、親やその他の大人たちと盛大にすれ違い続けた結果だろう。真実なんてそんなもんだ。

しかし、頭に残った、あのときの景色や感情らしきこの記憶は一体なんなのだ。

インターホンを鳴らした家は、わたしの家だったのか。

警察が公園で確保した少女とは、誰だったのか。

写真は誰が撮ったのか。

涙も見せず、ゲロも吐いていない写真に写ったわたしは、本当にわたしなのか。

 

今日誕生日迎えたわたしは、ハツラツとした、自信に満ちた、5歳の時のわたしと地続きなのだろうか。

 

イケイケだった5歳のわたしは、藪の中。

 

深く考えると誕生日と向き合うことになるので、わたしはそっと目を逸らし、Wii fitトレーナーの指示通りポーズを取るなどしている。

それでは。