世の中の人間は2つに分類できる。
「ナンバープレートを曲げるやつ」と「曲げないやつ」だ。
ナンバー曲がりの歴史
わたしの相棒、ヤマハのビーノ。緑のカラダにちょい錆びミラーがチャームポイントのかわいいやつ。この原付、どうやら、故意かはさておき「ナンバープレートを曲げるやつ」を引き寄せる体質らしい。
生まれ故郷の街は治安が少々よろしくなかった。特に駅の無料駐輪場は無法地帯だった。自転車のサドルは盗まれるし、原付のシートは切り裂かれるし、バイクは油性ペンで「うんこ」と落書きされていた。そんな駐輪場を4年間利用していたが、ついぞ一度も被害にあわなかった。「ナンバープレートを曲げられる」という嫌がらせ以外は。3日に1回は曲げられていた。曲げては伸ばしを繰り返したナンバーはしわしわになっていた。ナンバーを曲げるのは、車体に「うんこ」と書くこと以上に楽しいことなのだろうか。
就職を機に故郷に別れを告げて移り住んだ地は、打って変わって治安最高タウンだった。駐輪場には毎日100台以上の自転車が整然と並んでいたが、1台としてサドルやペダルやタイヤがなくなっている自転車はなかった。我が相棒のナンバープレートはようやく守られる...そう確信した。が、期待もむなしく、この地で過ごした3年間もナンバーはべこべこに曲げられ続けた。こちらも週に1回は曲げられていたのでなかなかの被弾率だ。
しかし、これは仕方ないところもある。駐輪場の限られたスペースで自転車を出し入れしようとすると、ペダルがナンバーの端に引っかかってしまうことがある。自転車のナンバーを曲げた経験がある人ならわかると思うが、あれは案外簡単に軽い力で曲げることができる。故意ではないのだから仕方がない。わたしにできることは市役所の「市民の声」ポストに「駐輪場をもうちょっと広くしてくれ」と投函することだけだった。
そして再び引っ越し。次の移住地は自転車に乗る人が少ないらしく駐輪場はいつもスカスカ。治安もいい。転入届といっしょに手続きしてもらったぴんぴんのナンバープレートがしわ一つなく輝き続けていた。
ナンバー曲げ野郎、来る
ある朝、自宅の駐輪場に向かう途中、嫌な予感がした。信じたくはないが、原付に近づけば近づくほど現実が見えてくる。
ナンバーが曲げられている。
今住んでいる集合住宅の駐輪場は我が愛車以外止まっていない。つまり「ペダルが引っかかっちゃった」パターンではない。前日の夕方までは曲がっていなかったので、日が落ちてから何者かがナンバーを曲げたということになる。とりあえずナンバーの角度をもとに戻し、その日は出かけるのをやめた。
次の日の朝、案の定再び曲げられたナンバーがそこにあった。
許せんが?
許せなさ過ぎたので、対策を取ることにした。
メッセージをしたためる
ナンバー曲げ野郎はおそらく人間なので、まずは説得を試みることにした。
これを
こうした
良心を持った者ならこれでやめるはずだ。
「わたしはお前に気づいているぞ」とけん制にもなっただろう。
次の日、ナンバーを留めるネジが片方外されていた。
メッセージはなかった。近辺に落ちていなかったからナンバー曲げ野郎が持ち帰ったのかもしれない。
いや曲げなきゃいいって話じゃないんだが。
己の醜さを見てもらう
「やめてくれ」と懇願する人のナンバーで遊ぶのは楽しかっただろうな。
どんなツラでいじったのか拝んでやりたい。
しかしわたしもひ弱な女。直接拝んでやるにはいささかパワー不足である。
なので自分で自分のツラを拝んでもらうことにした。
鏡を
ぶら下げた。
これでナンバーを曲げようと近づくと自分の顔が映るはずだ。
醜さに震え上がれ。
次の日、ナンバーは雑誌にやるドッグイヤーの要領で曲げられていた。
鏡はたたんで置いてあった。
たたんで置いてある鏡を発見したとき、一周回って恐ろしくなった。ナンバーは曲げるクセに鏡はたたんで置くのかよ。ナンバー曲げ野郎の「モラル」がどこにあるのかわからない。
「防犯の目」を付ける
コンビニなどでこのようなイラストを見たことはないだろうか。
人間は「だれかに見られている」という意識が犯罪の抑制につながる。目のイラストが「人の目線」を作り出すため、防犯に効果があるという理屈らしい。
試してみよう。どうせならもっと「見られている感」がほしい。
日頃愛用しているこれらを、
こうする
イラストより「見ているぞ」って感じがする。
なかなかの出来栄えだ。
次の日、いつもよりつつましく曲げられたナンバーがあった。
自賠責のシールもちょっとめくられていた。
素人は戦ってはいけない
もうお手上げだった。これ以上の策は思いつかない。
警察に相談することにした。
対応してくれた女性の警察官が「それはつらかったですね...」と想像以上に同情してくれた。
「ほかにもナンバーを曲げられた人とかいますか?」と聞いたら「相談に来られた方は初めてです。」と言われた。また我が相棒がナンバー曲げたい欲を持つ人間を吸い寄せてしまっただけのようだ。
警察に相談したその日から、ぱったりとナンバーは曲げられなくなった。
もしかしたらナンバー曲げ野郎が飽きただけかもしれない。そうだ。それでいい。世の中にはナンバーを曲げることよりも楽しいことはたくさんある。それに気づいてくれたのなら、わたしのナンバーも曲げられた甲斐があるってもんよ。
警察が何かしてくれたのかもしれない。だとしたら最初からこうしていればよかった。今回の戦いでわたしはご近所から「原付に生首飾るやべえやつ」だと思われるというリスクを一方的に負ってしまった。失うものが大きい割に得たものは何もない。悲しい戦いだった。
ナンバーを曲げられても素人が安易に戦うのはやめましょう。
あなたのかけがえのないものを失うかもしれません。