しもじものたみ

生き抜け!コンクリートジャングル

そこのお若いの、石はやめなさい

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こんにちは、たみです。

 

わたしの母校の教育理念は「人間になろう」だった。

最初、新手の煽りかと思ったよね。こちとら大学入学時点で19歳。人間歴19年だと思っていたら、大学側から「人間になろう」つって言われるの。御校の入試を受けて入学したけれど、確かに募集要項に「人間であること」はなかった気がする。入学式の訓示でこのワードが出てきたとき、こころなしか会場もざわついていた。

 

入学から4年後、無事に大学を卒業。そして、人間として社会というコンクリートジャングルに解き放たれた。そこのけそこのけ、こちとら母校で「人間」のお墨付きを得た者ぞ。

 

そこからときが流れて現在。気づいちゃったの。

なんか、わたし、人間じゃなくなってない?

新卒で入社した会社を退職し、肩書上「専業主婦」になったわけだけれど、わたしは本当に人間なのかしら?19歳のわたしは「いやわたくし生まれ落ちた瞬間から人間ですが」とイきり散らしていたけれど、一日中布団でごろごろしながらpixivを見てリンゴとうどんを食べるわたしを人間と認めていいのか。フトンダイスキニソクホコウとかに種族名を変えたほうがいいかもしれない。

 

んで、少しでも人間になろうと、お散歩をすることにしたのね。やっぱり人間といえば直立二足歩行だし。

すると、散歩から帰ると、ある親子と遭遇する機会が増えたの。

この親子はお母ちゃんと幼稚園児のお子ちゃんと、ほにゃほにゃのばぶちゃんから構成されるユニット。同じ集合住宅の住人。お父ちゃんはどうやら出張でいないみたい。わたしの散歩終了時間と、お子ちゃんの幼稚園からの帰宅とが重なるようで、共用の駐車場で鉢合わせることがあった。顔は知っているけれど、名前は知らない関係。

 

どうやら、お子ちゃんが反抗期みたいでして。

駐車場で駄々をこねているの。どうもおうちに帰りたくないみたい。

 

わかるよ。わたしも幼稚園児だったあの頃、幼稚園の遊具が楽しすぎて送迎バスに確固たる意志で搭乗拒否していたもの。あまりにも帰宅したがらないわたしを不審に思った先生方は、母親の虐待を疑ったりしたこともあったとか。マミー、ほんとごめん。

 

お子ちゃんは駐車場でぎゃんぎゃん泣きながら、コンクリートに寝そべって帰らない意思表示をしている。わたしは布団、君はコンクリートに寝そべるタイプの生き物だね、一緒に人間になろうね、と勝手にシンパシーを抱いていた。

 

それから数日後、再び親子とはちあわせると、お子ちゃんが立って帰宅拒否をしていた。

(勝手に)人間になろうと誓い合った相手が、一足先に人間っぽくなってる。どうしよう、若者の成長スピードがすごい。マラソン大会で一緒に走ろうって言っていた友人に置いて行かれる感覚。若者のコンクリート離れがすさまじい。わたしは布団離れできていないというのに。

 

さらに数日後、お子ちゃんは石を手にしていた。

手に持った石をお母ちゃんの車に叩きつけて、帰宅拒否サウンドを奏でていた。

石器じゃん。人間の特徴は、道具を使うことだという。どうしよう、もうシンパシーどころではない。完全に置いてけぼり。お子ちゃんは立派に人間への道を進んでいるのに、わたしは「なんか、面倒だわ」つって柿を切ることを諦めて皮も剥かず芯も取らず丸かじりしている。お子ちゃんは石器を手に取り、わたしは包丁を諦めた。ぐんぐん人間格差が広がる。

 

さらにさらに数日後、お子ちゃんは手にした石を投げた。

お母ちゃんの車に投げつけたり、コンクリートに叩きつけたりしながら、帰宅拒否を繰り広げていた。

投擲じゃん。間合いを手に入れてるじゃん。着実に人類史を踏破している。

直立二足歩行により空いた手に石を握り、その石を投げる。石が槍や大砲になり、果ては宇宙ロケットになり、人間は「遠くに影響を及ぼすこと」を獲得していった。そして人類は今もより遠くへものを投擲するための進化を続けている。

 

わたしは感動した。目の前で、今まさに人間になろうとしているヒトがいるのだ。

素晴らしい。大変素晴らしいんだけどさ、

いま君が投げている石が、うちの車にも当たってるんだよね。

 

進化に水を差すようで心苦しいが、さすがに物申したよね。Twitterで声のかけ方の教えを乞うたらパパママから多くの意見をいただけた。さすがインターネット、頼りになる。

教えによると、あくまでお子ちゃんに語りかけること、お母さんを責めないことが大切ということが分かったので、

「石を投げるのは危ないし、お母ちゃんも困っておるよ」と微笑みながら伝えてみた。

お母ちゃんから車の傷の弁償の話が出たが、正直車への執着は何もないので、お断りした。幼稚園児の投擲能力でできた傷より、縁石に擦った傷のほうがどうみても深刻なのに放置している車に弁償だなんて、なんてできたお母ちゃんなのでしょう。

 

その場で、「もう車に石は投げない」とお子ちゃんとおやくそくをした。

人間じゃない仲間だと勝手に思ってごめんね、きみは立派な人間だよ。わたしはまだフトンダイスキニソクホコウだけど、いつか母校のスローガンに恥じない人間になるね。

 

 

後日、わたしの原付のナンバーに向かって石を投げるお子ちゃんがそこにはいた。

う~~~ん!人間になるって難しい!

 

(わたしの災厄の原付ナンバーの話はこちら↓)

tami-sf.hatenablog.com

 

【参考文献】

飛び道具の人類史―火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで