しもじものたみ

生き抜け!コンクリートジャングル

夫が出張へ行ったら名前を失った話

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こんにちは、たみです。

主に個体識別として、時に権力の誇示にも使われる名前。名前、使ってますか?

 

わたしは使っていません。使っていないというか、使われていない。正確には夫と祖母のみがわたしを名前で呼んでいた。しかし、祖母は天寿を全うし夫はインドへ渡航してしまったため、わたしを名前で呼ぶ人はいなくなってしまった。

 

なぜこんなことになってしまったのか。

考えられる原因は「実家の家族構成」と「あだ名」だ。

まず家族構成。

両親が「この子が馬鹿だといけないから...」というリスクヘッジにより画数控えめかつ口頭で説明しやすくつけてもらったわたしの名前だが、妹の誕生により「お姉ちゃん」という呼び名にシェアを奪われることになる。妹とは4歳差なので使用年数4年の儚い名前であった。

わたしが幼少期を過ごした年代ごろから「長子も名前で呼ぼう」ムーブメントがじわじわ広がっていったように思うが、あれは長子を兄や姉で呼ぶことに違和感を持てた家族なのだと思う。わたしの実家は父母わたし妹の4人家族だ。そのうちわたしを除いた3人が末っ子という末っ子過半数ファミリーである。誰しも長子をお兄ちゃんお姉ちゃんと呼ぶことが当たり前だったのだ。

 

もう一つの原因のあだ名体質は単純だ。

わたしはあだ名を得るに値するエピソードの弾数が多いし、周りの人間もあだ名をつけがちな人間で溢れている。

小学生頃は食べれる草やきのみを同級生に教え歩いていたため「師匠」と呼ばれた。中学生になってから入った吹奏楽部でデロデロに汚れた楽器を素手で洗っていたため「沼野郎」略して「沼」と呼ばれた。高校では隠の者特有の休み時間机で1人過ごす姿から「机の民」と呼ばれた。机の民は特に気に入っていて今も仕事をする時につかう「たみ」という名前はここから来ている。全体的に由来がちょっとアレだけどいじめられていたとかそういうのはないので大丈夫です。

学生時代であれば先生に名前を呼ばれることもあったが、社会に出てしまえばそれもない。今思い返すと職場でも名前を呼ばれることがあまりなかった。

そして満を辞して退職。いよいよわたしを名前で呼ぶ人は夫のみとなってしまった。その夫も日本にいない今、わたしの名前は書類の上で存在するだけになった。

この文を書くにあたり、直近の行動を思い返して本当に名前が呼ばれていないのか確認した。マジで呼ばれていない。役所や銀行へ行った時でさえ整理券の番号で呼ばれた。銀行へは旧姓の通帳の名前の変更で足を運んだため「(旧姓)様と分かる書類はおもちですか?」と聞かれたが名字である上に旧姓のため名前を呼ばれたとカウントするのは微妙である。

名前は自分と他者を区別するために必要不可欠だ。にもかかわらず名前以外が識別コードとして使用されて、しかもそこそこ成り立っている「わたし」という存在はちょっと不思議でちょっと面白い。

マイナンバー制度の話が出てきた時「人間を番号で管理するのか!」と怒りの声があったように思うが、その人に言いたい。案外なんとかなるぞ、と。

ただあまりに名前を使用しないと己の名前に自信がなくなるから時々は名前を自分で呼んであげようね。主に市役所の書類欄で困るから。