しもじものたみ

生き抜け!コンクリートジャングル

プロレスの包容力よ、永遠なれ

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人が宙を舞う。わたしはそれを黙って見ている。
わたしはこの瞬間、人を殺したかもしれないのに笑っている。

 

わたしはどうも、暴力というものを見下している節がある。私の通っていた中学校で肩パン(相手の肩を音を立てて叩く行為の意)が男女問わず流行ったとき、馬鹿馬鹿しいと一歩引いていた。バラエティ番組の罰ゲームでケツをけり上げられる芸能人、駅のゴミ箱に八つ当たりするおじさん、そして肩パン。などなど。
「痛そう」なことをする人は皆野蛮な人だと思っている。
だからわたしは「わたしは人畜無害ですよ~平和主義者ですよ~文明人ですよ~」とアピールをしながらそそくさとその場から逃げるのだ。

 

8月某日、わたしの足取りは重かった。駐車場から体育館までのほんの数百メートルがとても長く感じる。
わたしはプロレスを観戦しに来た。しかもかなり上等な席らしい。
配偶者は格闘技を見るのもやるのも楽しむタイプの人間だ。彼にプロレス観戦を誘われるが、10回に9回は断っている。だって絶対痛そうだし。
しかし、夫もあの手この手で誘ってくる。座席が遠いから怖くないよ、おいしいものも売ってるよ、これを逃せば地元ではもう見れないかもよ、と言葉巧みに誘ってくる。
今回は「すごく大きい団体だから今までと何もかも違うよ。教養として見ておくべきじゃない?」という一言につられ、観戦を決意した。今年の目標が「インテリジェンスな女になる」である以上、教養になるのなら見ますとも。重い腰を上げて二人で2万円の観戦チケットを購入した。

 

会場に入ると、パイプ椅子が整然と並べられていた。コロナの感染対策の都合で間隔が空いていたにも関わらず今まで見たどのプロレスの試合よりもたくさんの椅子が用意されていた。点々と立っているスタッフの手には「お席にご案内します」という看板が握られている。極力動かず、声も出さず、徹底した感染対策を見た。入口に置かれた消毒液、マスクの確認、定期的な消毒作業などいたるところでコロナの対策が行われていた。


コロナ対策は応援にまで及ぶ。「応援は声を出さず拍手をしましょう」というアナウンスが会場に流れた。大きなホールに並べられた椅子、そして拍手だけの声援。まるでオーケストラの鑑賞みたいだなと思った。

 

会場が爆音に包まれ、選手が入場すると「オーケストラの鑑賞みたいだ」という感想は吹っ飛んだ。割れんばかりの拍手が会場を包む。試合が始まると一時静かになるが、選手が技を繰り出すと再び拍手が支配する。目の前で繰り広げられる暴力の応酬はやはり苦手ではあったがなんだかんだ最後まで試合を観戦し、不織布マスクの下で笑みを浮かべるまでに楽しんだ。プロレスを楽しめたのは初めてかもしれない。

 

今まで見たプロレスでは、なぜわたし以外の観客がおぉーと感嘆の声を漏らし、手を叩いて喜ぶのかが分からなかった。きっと今目の前で繰り広げられた技はすごい技なんだろうな、というのは分かる。しかしわたしにとってはもう全部すごい技なのだ。全部に「すごいぞ!」と言ってあげたいぐらいすごい。わたしは会場でおいてけぼりだった。


しかし、この度のプロレスでは「おいてけぼり感」がほぼ無い。これはわたしの推測に過ぎないのだが、歓声禁止になった会場を盛り上げるために、選手が拍手を入れやすい技を出しているのではないだろうか。手を叩くべき場所が素人でも分かり、観客の目線を惹きつけ続けることのすごさよ。

 

従来型の声ありの応援はかなり観戦玄人向けである。選手のことを一切しらないわたしは選手の名前すら満足に呼べない。タイミングも分からない。
暴力反対派のわたしとしては、「やっちまえー!!」などとはとてもじゃないが言えない。
その点拍手はかなりお手軽だ。手と手を叩けばいいだけである。しかも声と違い音を発した人の匿名性が強い。拍手に秘めた心のうちも伝わらない。
拍手のみの観戦は、人間から恥や罪の意識を薄れさせる効果があるのだろう。
少なくとも、わたしには効果てきめんだった。

 

選手がリングの支柱に上り手を掲げる。すると会場からは手拍子が沸き起こる。何度目かの手拍子のあと、選手は身長を超える高さから相手めがけて飛び降りる。
2時間前に暴力反対!平和主義!と言っていた人間の口は常に半開きで口角が上がっている。
あげく、もっと飛べ、もっと痛めつけろ、お前の痛みなど知ったことかと拍手をして選手をあの柱へ追いやる。これに本人が気づいていないのだから片腹痛い。
自分は人間の汚い部分とは決別しています。潔白でございます。とお高く止まっていたわたしは、わたし自身にショックを受けた。
わたしが選手の華々しい技をもっともっとと求める欲求が、選手を殺す可能性だってあるのだ。なんてことない拍手で、人を死地に追い立てていると思うと、暴力を見ているとき以上に怖くなった。これではどこか見下していた「肩パン」を繰り出す同級生と一緒ではないか。

 

そう思うと、覚悟を決めて購入した2万円のチケットは破格の値段だ。人の生死がかかる場面を一人1万円で買っているとかなり安い。1万円しか出していない客のために宙を舞う選手は何を思っているのだろう。さぁやれもっとやれと拍手するただ座っている観客に、どんな感情を抱いているのだろう。わたしだったら「冗談じゃないお前もやってみろ」と拍手なんかした人間を一人ずつリングの柱に乗せて回るかもしれない。

 

しかし選手はいうのだ。
「応援ありがとう」と。

 

プロレスラーは相手からの攻撃を避けずに受け止める。
観客からの罵声も、期待も、欲望も、痛みもすべて受け止める。
その包容力にただただ感服する。

 

こちらこそありがとうプロレスよ。わたしは自分の汚い部分に気づけたよ。
汚さと向き合って、汚いわたしもどうにか折り合いをつけて受け止められるようにがんばってみるよ。
選手の皆さん、お体にどうか気を付けて。「痛そう」と「痛い」は天と地ほども違うからね、そこはよろしくね。